2009年9月30日水曜日

祇園祭・錺職人の技展に展示されなかった郭巨山の主な縣装品

郭巨山には展示されたもの以外にも下記のような縣装品がございます。

御人形「郭巨殿」「御童子」
天明8年(1788)の大火で御人形は二体とも惜しくも焼失し、翌、寛政元年(1789)郭巨殿と御童子の御首(おかしら=御頭)が新調され、寛政4年に二体の御人形は完成し、錦小路新町西入の真言宗亀龍院にて開眼をなされました。人形師、金勝亭九右衛門利恭こと戸田末三郎と、助っ人大工、幸介の製作。

郭巨殿御衣装
萌黄蜀紅文様金襴の筒袖小袖(狩衣)と袴(指貫)、花色地鉄仙花金襴の道服と同じ柄の前掛、水色茶地金襴の懸緒帯。黒漆塗刃先銀塗りの鍬。

御童子御衣装
右手に唐団扇、左手に紅白大輪の牡丹を持つ。赤地蜀江錦金襴の筒袖唐子衣装の上着に同じ金襴の袴。黒地羅紗鉄仙花唐草金刺繍の両襠(りょうとう=チョッキ)。

第一装前掛「唐美人遊楽図紗刺中国補子(ほし)中縁(なかぶち)付」
 天明5年(1785)に町内在住の松屋源兵衛が寄付。中国製の刺繍で岩山と清流の庭園の最下部に楽曲を奏でる5人、二人の男性のお供と侍女と子供を連れた貴婦人、左端に侍女2人を連れた貴婦人、上部の橋の上に侍女2人を連れた貴婦人、右上部の平坦な所に机を置き老学者風の男性が湯茶で一服している図。中縁の補子は17世紀の中国(明、清)の官服の胸と背中の役位を表した刺繍。

第一装左胴掛「呉道子描龍図刺繍」
 天明5年(1785)に狩野派の大家で円山応挙の師でもある石田幽汀の下絵を町内在住の松屋源兵衛が製作したもの。呉道子が描く龍が画面を飛び出し、雲を呼び、天に昇る図で、「龍、天に昇る」は吉兆の言葉や破竹の勢いで物事が上手く行く例えとされ、呉道子は唐の画聖で号を道玄といい、玄宗皇帝に仕え、仏寺の壁画を主に不朽の画聖として有名。下絵の石田幽汀(ゆうてい)は狩野派の画家で鶴澤探山に画を学び、山水画に長じ、円山応挙が幽汀に学んだことからその名を世に示した。

第一装右胴掛「陳平飼虎図刺繍」
 天明5年(1785)に石田幽汀の下絵を町内松屋源兵衛が製作したもの。陳平は項羽、漢高祖に仕えて戦功を立てた武将で、陳平が村長のころ、肉を村民に公平に分けた故事を虎を飼うことで表現している。

第一装後掛「福禄寿図刺繍」
 天明5年(1785)にそれまで前掛として使用していたものを後掛に改修したもの。普段は見送に隠れてしまうので黒ビロード地の中央部に間を空け、右上部に日輪と瑞雲、その下に仙木、左一杯に福禄寿を描く。

第一装見送「唐山水仙人図綴織」
 文化13年(1816)に円山応挙の孫である円山応震の下絵によるもの。最上部に日輪と白雲、その下に向き合わせた鳳凰が配され、一面の山水画に蝦蟇(がま)、鉄枴(てっかい)、張果(ちょうか)、呂洞賓(りょどうひん)など11人の仙人が描かれている。

旧第一装見送「林指峰寿叙文刺繍」
 天明8年(1788)の大火罹災後、寛政5年(1793)の再興の前年に東福寺より寄進を受け、見送に仕立てたもの。中国は明の時代の林指峰という人の長命を親類知人一同が祝った内容が記され明国嘉靖30年(1551)の年号が銘記され、重文級のものとして現在、京都国立博物館で保管されています。

御釜
明治22年(1889)新調。木製総純金箔塗。

くじ箱
高大寺蒔絵文箱1合。黒漆塗文箱1合。

他に、房類(隅房、見送房)、裾幕、常用織物縣装品(前掛・胴掛、見送)、常用乳隠し、常用鳥居など。

こちらも併せてご覧ください
郭巨山ホームページ>文化財郭巨山
http://www.kakkyo-yama.org/bunkazai.html

祇園祭・錺職人の技展《郭巨山:出品縣装品リスト》その2

【金彫物縣装品】

欄縁(らんぶち)「黒漆塗 四季草花文様 鍍金金具付」
 郭巨山の欄縁は明治23年(1890)に新調された厚肉透かし彫で、前面に桐、左面に桜、右面に菊が精巧に彫られ、見事な出来栄えです。

乳隠し(ちかくし)「金地極彩色法相華文様」
 他の山や鉾は織物懸装品を手摺りから掛けてその上に欄縁を手摺りに乗せますが、郭巨山では「乳隠し」といわれる懸装品の幅に合わせた薄く細長い化粧板に懸装品を掛け、その化粧板を屋台手摺りに掛けて、その上に欄縁を乗せます。乳とは胴掛などを吊るすための上端部の小裂(こぎれ)でこれが目障りなので昔は小裂を隠すために薄い板に掛けて屋台手摺りに掛けていました。欄縁が被さって見難いですが、極彩色の宝相華文様の乳隠しが精巧な透かし彫りの欄縁とお互いを引き立てあっています。
     
常用欄縁「蝋色塗金物付」
 宵山までの常用欄縁は明治11年(1878)に新調。4辺の角と中央部に瓜の厚肉彫。雨天巡行に使用。

隅房金具(角金物=隅房掛)「牡丹文様 鍍金金具」
 二段結びの長房を掛ける隅房金物は明治23年(1890)に新調されたもの。

見送掛鳥居「黒漆塗 本蝋色色塗 雲鶴文様肉厚透彫鍍金金具付」
 明治4年(1871)漆塗木組製作、明治11年(1878)雲鶴厚肉彫。

見送飾金具
 見送上部「鉄線唐草文様鍍金金具」1対。明治22年(1889)新調。
 見送下部「窠巴紋文様鍍金金具」11個。明治22年(1889)新調。裾房金物。

昇龍見送用金具
 見送上部「昇龍文様鍍金金具」昭和56年(1981)新調。
 見送下部「窠巴紋文様鍍金金具」7個。昭和56年(1981)新調。

屋根裏(破風)金具
 郭巨山の特徴のひとつ、日覆い障子の屋根の前面、後面の梁の中央に取り付けられ、前面に祇園神紋の帽額紋、後面に三つ巴紋が取り付けられます。明治23年(1890)新調。

舁き棒(長柄棒)鼻先金物=轅先(えんさき)金具「黒漆塗 釜鍬文様」
 舁き棒の先の金具は、漆塗りの長柄棒の両端に「釜掘り山」に因んだ「釜と鍬」のデザイン。

五鈷鈴(御山錀)
真松には五鈷鈴と呼ばれるこぶし大の鈴が巡行時に取り付けられ、巡行中振動があると、暑い中、リーン、リーンと涼しい鈴の音が聞こえます。昭和32年(1957)京錀師白井勘三郎寄贈。

金幣
 神様の依り代(よりしろ)となる御幣は、慶應元年(1865)に枡屋清助の寄付による黒漆塗り朱房付の幣串に昭和4年(1929)荒木伊助作の金幣が用いられています。

こちらも併せてご覧ください
郭巨山ホームページ>文化財郭巨山
http://www.kakkyo-yama.org/bunkazai.html

祇園祭・錺職人の技展《郭巨山:出品縣装品リスト》その1

【織物縣装品】

第二装前掛「秋草図綴錦」
 昭和53年(1978)に日本画の重鎮であった上村松篁画伯原画の屏風絵「日本の花」(一双に6枚の扇面画)から「秋草」の図を元にして新調され、桔梗(ききょう)、萩、朶(しだ)が大きく大胆に描かれています。

第三装前掛「六人王図ペルシャ絨緞」
 昭和55年(1980)に吉田光邦京都大学名誉教授から寄贈されたもので、19世紀初頭にトルコ系イラン遊牧民族カシュガイ(カシュガル)によって織られたイランの伝説的英雄ロスタム他の諸王が描かれた六英雄図です。

第二装左胴掛「花の汀図綴錦」
 昭和53年(1978)に上村松篁画伯原画「秋草図」の前掛を巡行に使われたことを契機に、上村松篁画伯の春夏秋冬の絵で郭巨山の四面を飾ることが町内合議で決定し、昭和58年(1983)まず左胴掛から計画されました。図柄は夏。上村松篁画伯が作品の中から選ばれたのがこの「花の汀」です。地色の金に杜若(かきつばた)の花の青と葉の緑が鮮やかで、鷺舞などで祇園祭に縁のある白鷺が二羽たたずんでいる花鳥の第一人者の上村松篁画伯の絵の中でも初夏を飾る逸品です。新調には前々年の御人形衣装の新調の際に寄せられた寄付金が充てられ、胴掛の裏地に寄付を寄せられた御名が書かれています。

第二装右胴掛「春雪図綴錦」
左胴掛(=夏=花の汀)に続いて昭和62年(1987)に右胴掛が新調されました。図柄は冬。上村松篁画伯が作品の中から選ばれたのがこの「春雪」です。地色の銀に雪を持った竹の下で吉祥を表す鴛鴦(おしどり)が春を待つ図です。銀地に雪なので写真を撮るのが難しいのですが左胴掛の金と対をなしています。

第二装見送「都の春綴錦」
 上村松篁画伯原画による春夏秋冬の絵で郭巨山の四面を飾る、ということで、前掛の秋、左胴掛の夏、右胴掛の冬、そして残った〝春〟がこの「都の春」です。上村松篁画伯が作品の中から選ばれた〝春〟が「万葉の春」という作品から万葉美人が優雅にたたずむ場面をトリミングされました。
 平成6年(1994)に新調され、地色の淡いオレンジ色に緋桃の鮮やかな赤、中央の優雅な万葉美人の足元に白と薄青の6株の桔梗(ききょう)が散らされた典雅で優美な図柄です。
 この見送の完成をもって「昭和から平成の大新調」の「上村松篁画伯原画による御山四面春夏秋冬」は御人形の衣装の新調とともに事業完遂となりました。

第三装見送「郭巨漢詩文刺繍」
 昭和54年(1979)に茶道裏千家家元(当時)千宗室から寄贈されたもので蘆北山人橋本循賦詠の漢詩文「郭巨山」を千宗室家元が揮毫されたものです。紺地に故橋本循先生が詠まれた漢詩が金糸で刺繍されています。

第四装見送「昇り龍染彩」
 昭和56年(1981)に染色作家皆川月華氏が製作寄贈されたもので暗雲雷光の中、龍が天に昇るダイナミックな図柄です。「昇り龍」には特別の見送金具が付けられ、他の「唐山水」「都の春」「漢詩文」には共通の見送金具と裾金具が付けられます。

第二装後掛「阿国歌舞伎図綴錦」
平成3年(1991)新調。桃山時代の初期歌舞伎の観劇の様子を伝え、風俗画としては山鉾唯一のもの。
 後掛は見送に隠れて見えないので、平成3年の巡行では見送を外して新潮披露。平安建都1200年の平成6年(1994)、阿国歌舞伎400年の平成15年(2003)には前掛として使用して、記念の年の巡行に花を添えた。

こちらも併せてご覧ください
郭巨山ホームページ>文化財郭巨山
http://www.kakkyo-yama.org/bunkazai.html